失語症の方がいる家族さんへ~家族の中での役割~

失語症の方がいる家族さんへ~家族の中での役割~

失語症の多くは、脳卒中や頭部外傷などの脳血管疾患が原因です。ある日を境に、命の危険に直面し、その日から障害者となります。多くの家族さんは、まずは命が助かったことに安堵し、そのあと、麻痺が残った場合は「少しでも歩けるように、手が動くように」と望みます。入院中は、かなり重度の失語症でないかぎり、言葉よりも身体の問題に目がいきます。当然ですよね、帰宅した時に、何が困るか、明白ですから。自宅の環境によっては、改修、引っ越し、または自宅に戻るのを諦めざるを得ません。

 しかし、段々と失語症によるコミュニケーションの問題に気がついてきます。患者さんは、医療従事者には、トイレとか点滴など、要件以外を話すのをためらうものです。でも家族さんには、いろいろ伝えようとするものです。自宅の様子を聞きたいとか、あれを持ってきてほしいとか、一生懸命、話をしようとします。でも、失語症があると、それが何なのか、家族さんはわかってあげられない。家族さんも、伝えたいことがある、尋ねたいことがある、でも、それが伝わらない。そうした不便だけでなく、言葉が通じなくて、暗い表情をしているご本人を見ていると、なんとかならないものか・・と思います。明るい、社交的な人であれば、なおさらです。まして、ポロリと出る言葉が「死にたい」などであれば、どうしたらいいのか・・と困惑します。

 私たちで「何かできることはありませんか?」言語聴覚士であれば、こうした家族さんの声は必ず聞いているはず。失語症は症状も重症度も様々ですが、ここでは、基本的な事をお伝えしたいと思います。

 家族内の役割は変えないで

 家族さんが、絵カードやドリルを使って練習をするのは、お勧めしません。特に、言語療法の時間が少ないから、「言語聴覚士の代わりに」課題をするのは、違います。「これはなんていうの?わからない?りんごでしょ、り・ん・ご!」というような場面をみたことがありますが、これでは、ご本人の尊厳が損なわれてしまいます。家族さんが悪いのではありません、むしろ、とても想いがある家族さんに多いのです。もし、こういうことを家族さんに「やってくださいね」「家族さんも協力してくださいね」と伝えた医療従事者がいたとしたら、その人の認識が間違えています!

失語症は、高齢の男性の割合が多いです。2021年の時点で、65歳以上の男性と言えば、これまでばりばり仕事してきて、家庭でも「おとうさん」と持ち上げられてきた人が多いですよね。善し悪しでなく、そうした環境で育ってきた人が多いということです。退職したあとであれば、現役の時に比べ社会的な役割を喪失して、そもそもしょんぼり、元気がなくなっていた人も少なくないはずです。そこへきて、病気や頭の怪我で、ある日突然、身体も思うように動かなくなった、言葉も難しくなった・・その絶望的な気持ち。追い打ちをかけるように、家族さんから「指導」されるようになってしまったら、もう逃げ場がありません。女性では、これまで家事を切り盛りしてきた、家族に対して「何かをしてあげる、サポートする」役割があったのですが、それができなくなった。家族に迷惑をかけてしまうと、家族さんに遠慮している人がとても多いのです。それなのに、言葉の練習まで付き合わせて、負担をかけさせてしまっている・・こんなことで、落ち込んでしまいます。

 若い世代では少し状況は違っているかもしれませんが、それでも、家族内での役割はありますよね。お父さんであったり、お母さんであったり、息子や娘という立場で、それぞれの家庭の中での役割があります。それを失語症になったからといって、いきなり、「セラピストと患者」という役割に変更しないでください。家族さんはセラピストではない、セラピストの代用になってはいけないということです。上手に話せなくなってしまった自分を見たくない、見せたくない。家族の前ではそういう気持ちの強くなる人も少なくないです。言語室に家族さんが来るのを嫌がる失語症の人は少なくありません。

 身体も、言葉も、社会的役割も、変わらざるを得なかった失語症者にとって、最後の砦ともいえるのが、家族(または家族のような親しい関係の人)との役割です。大黒柱として存在していたお父さんであれば、同じように接する。「お父さん、これに決めるね、いいかしら」など承諾を得るようなコミュニケーションをしてみるなどです。家族のサポート役として存在していたお母さんであれば、「ねえ、お母さん聞いて」といって、愚痴でも聞いてもらって「ありがとう」という。詳細が伝わらなくてもいいのです、あ、この子の役に立てたのねと思えることが大事なのです。

 こんなことでいいのか??と、焦る気持ちもわかります。一日でも早く治ってほしい、以前のように少しでもしゃべってほしいという気持ちは、大変よくかります。そういう気持ちから「何かしゃべって」「声をしてみて」と言いたくなりますよねけして責める気持ちでなく励ます気持ちで声をかけているのだと思います。しかしこういう声かけは、本人にとってとても辛いものなのです。どこへ行っても、できないことばかり強要される。それも、今、できないことは、失語症になる前には、さもなくできていたことばかり。こんなことも出来なくなったのかと落ち込みます。「すべて失ってしまった」という喪失感、つまり、心の問題が生じるのが最もよくないのです。改善を遅らせるどころか、悪化させてしまいかねません。急がば回れではないですが、家族は家族としてのゆるやかな関係でいることが、回復につながるのです。せめて家族との時間くらい、失語症のある方にとって、ほっとする時間であってほしい、家庭というものは心安らぐ場所であってほしいと思います。

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