回復できたはずの人が、社会から離れていく ――失語症リハビリが途切れることで起きている「見えない損失」

回復できたはずの人が、社会から離れていく ――失語症リハビリが途切れることで起きている「見えない損失」

失語症のリハビリが十分に受けられないことは、
当事者にとって大きな苦しみであると同時に、
社会全体にとっても静かな損失を生んでいます。

特に、その影響が大きいのが、現役世代です。

「働きたい」という気持ちは、失われていない

失語症のある人の多くは、
「もう一度働きたい」「元の生活に戻りたい」と願っています。

調査でも、
復職を希望する人は7割前後にのぼります。

それにもかかわらず、
実際に復職できている人は、4割程度にとどまっています。

この差は、
本人の意欲や努力だけで説明できるものではありません。

能力の問題ではなく、「支援が途切れる」問題

失語症は、
適切なリハビリを続ければ、回復の余地がある障害です。

とくに、発症時に働いていた世代では、

  • 専門知識がある

  • 経験が蓄積されている

  • 職場での役割が明確

といった強みを持っている人も多くいます。

それでも、
ことばのリハビリが途中で終わり、
相談先もなく、
職場との橋渡しもないまま時間が過ぎていく。

その結果、

  • 本来なら回復できたはずの力が使われない

  • 働く意欲があっても、環境が整わない

  • 社会との接点が少しずつ失われていく

という状況が生まれます。

これは「個人の問題」ではない

ここで起きているのは、
一人ひとりの不運ではありません。

社会として、回復途中の人を支えきれていない
という構造の問題です。

働く世代が失語症になることは、
誰にでも起こり得ます。

そしてその人が、

  • 十分なリハビリを受けられず

  • 本来の力を発揮できないまま

  • 社会から離れていく

とすれば、それは
労働力の損失であり、
知識や経験の喪失でもあります。

高齢者の支援と、現役世代の支援は、対立しない

ここで誤解してほしくないのは、
「高齢者より現役世代を優先すべきだ」と言いたいわけではありません。

高齢者であっても、
回復を支えることは人権の問題です。

ただ同時に、
現役世代が社会参加を失うことの影響は、
本人と家族にとどまらず、
社会全体に長く残ります。

  • 働けたはずの人が働けない

  • 支える側だった人が、支えられる側になる

  • 家族の負担が増える

これは、
防げたかもしれない損失です。

失語症リハビリは「コスト」ではなく「投資」

失語症のリハビリを、
「医療の一部」「安全管理の延長」としてだけ捉えると、
どうしても後回しにされがちです。

けれど実際には、

  • 社会復帰を支える

  • 就労を可能にする

  • 孤立を防ぐ

という、社会への投資の側面を持っています。

回復する可能性がある人が、
回復できないまま社会から離れていく。

その現実を、
「仕方がない」で済ませていいのか。

おわりに

失語症のリハビリが途切れることで起きているのは、
目に見えにくいけれど、確かな損失です。

それは当事者だけの問題ではなく、
社会のあり方そのものに関わる問いでもあります。

回復できたはずの人が、
回復しきれないまま社会から離れていく。

この流れを変えることは、
誰か一人のためではなく、
社会全体の未来のためでもあるのだと思います。

私の活動

 

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