心が言葉を奪うとき〜高次脳機能障害者の声なき声〜
脳卒中や脳外傷などで、脳が損傷した場合、麻痺などの「身体」と、周囲の情報を処理して判断する「認知」が障害されるだけでなく、人生の半ばで障害を負ったことによる「心」の問題が生じるとされています。
私たち、病院のリハビリ職は、基本的には身体・認知機能を改善させることが仕事です。認知については「失語・失行・失認」といった脳の損傷部位と相関する障害と、「注意・記憶・遂行機能」といっった相関があまりないものがあり、学術的には両方とも高次脳機能障害と言います。そして、基本的には年数がかかるにしろ「改善する」もので、そこが認知症との鑑別となっています。
しかし、高齢でもない(加齢変化ではない)のに、言語に関わる脳が損傷されてもいないのに(失語症ではない)、数年たつと「言葉を発しなくなった」人たちがいます。話そうとしても発語にならないのです。かつては日常会話ができていたのに。
何か伝えたいって、思わなくなった
ここに「かつて言葉を失い、また少しずつ話を始めた」数名の方の声を掲載します(掲載許可を頂きました)
- 病院にいた時は、これができるようになりたいとか思ってた。でも、なんていうのかな、なにもできないっていうのか、そこから、あの、なにか言いたいなってことを、もう言わなくなってきた。
- なんか自分が、こういうことができへんのやって、あったから、何て言うのかな、自分でなにもきめられなくなってきた。うん、、、そうですね、決められるんだけど、決められなくなったというか、決めても無駄やなって。
- がんばってバイトとかいってたけど、そこ、そこまでたどり着くのが大変だったけど、でもそこまではちょっとは普通の生活をしてたんですよ。でももう無駄やなって。うまくいかないし、言っても無駄やなって。外にも出なくなって、それ、ほんとは嫌やなってなんかしたいって、でも、これってものがでてこない。なんか、そこ、そこ、うーん、これだめってばかりで。やる気がなくなって、 このまま、このままって、なにも変わらんだろうし。
- 自分がなにかしゃべったら、あ、これ、間違いやったんかなって。私が悪いんかなって。毎日、毎日思ってしまう。自分で自分がわからんし。喋らない方が相手も関わってこないし、その、その、ま、それ、こうこのままの方がいいんかなって思って、喋らんほうが、もう、、、あの、、、、うん、うん。あの、、、
- 事故の前の私を知らん人ばっかりだから、あの、あの、いじめらて、それがきっかけで恐怖症になったのも覚えてる。問題があったときとか、ぜんぶ、私のせいにされて勉強しても、どうせ見下されるから、やる気なくなって、あの記憶もあまり残ってない。記憶は問題ないはずなんだけど、、覚えられないことがある。どうしたらいいかわからんし、、ひとがこわい。なにも、なにもないようにって(起こらないように)、、、
脳が言葉を取り戻しても、心が言葉を奪う
脳損傷をした人は、脳が傷つくことで障害をおった機能が低下しやすいものです。
麻痺した足で歩けるようになっても、歩く機会が少ないと、麻痺がない人よりも機能が低下しやすい。
失語症の人は、リハビリ終了後、話す機会がないと言語機能は低下するという研究はいくつかあります。しかし、こうした心の問題によって、もともとは軽度、または損傷していない言語機能が低下することがあるようです。
リハビリをすれば言語機能は改善する、たとえ長期にわたっても。
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佐野 洋子 加藤正弘
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この本に書かれていることが、医学的に正しいはずなのに
心が言葉を奪うという現実があることを多くの人、とくに医療関係者には知ってほしいと願っています。インタビューを通して
- なぜなのか?
- どうしたら言葉を再獲得するのか?
- そして私たち医療関係者だけでなく、社会はどうあるべきか?
について考え続けています。
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私が関わっているNPO法人Reジョブ大阪では賛助会員・寄付・メール会員を募集しています。社会に参加するための言語リハだけでなく、月1回、みんなで集まる「まるっと会」も開催しています。お問い合わせはこちら→npo.rejobosaka@gmail.com
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