母よ嘆くなかれ、子供のすべてを受け入れるということ〜私の行動を変えた本〜
先日、スカイプで発達障害について数名の方とお話しをする機会がありました。その中のお一人は、青少年の更生に関わるお仕事をされています。
問題や犯罪を繰り返す青少年の多くは、幼少から生育環境が恵まれず、虐待や貧困、孤独の中で育ち、すでに社会や大人を信じていません。おそらく、中には診断されていないけれども、発達障害があり、コミュニケーションが生来苦手であり、そのため、誤解を受けて育った子供も多いことでしょう。いくら職員が心を込めて接しても、心を開くことは難しいのが現実です。
そして、職員がよく話題にしていたことが「深い受容」という言葉だそうです。
- そうだね、辛かったね
- もちろん、わかるよ
という、うなずきや言葉かけだけでなく、「深く」「相手の全てを」受容することでないと、救えない。そして「親以外の大人」が、その子の存在自体を認めることが大切なこと。
私は少し涙がでそうになりました。私たちは、無意識にしろ、「こうだったらいい子」「私の子供はこうあってほしい」など「制限付き」で子供を愛していることがありませんか?例え、世間を敵に回しても、「私だけはあなたの味方」と、自信をもって言える親はどのくらいいるのでしょうか?障害があっても、社会的にいい子でなくても、「私にとってかけがえのない子ども」のはずなのに、そんなことをすっかり忘れていませんか?
そして、願わくば、親である自分自身も、誰かに「深く受容」してもらえる存在であれば、どれほど幸せだろうとも感じました。可愛がってくれた父親を幼い時に亡くし、ず〜っとそういう存在を心の奥で求めている小さな女の子の自分にも気がつきました。いまだに、そんな気もちが湧き上がってくるのも不思議でした。自立した社会生活を送っている自分でさえ、そう思うのです。大人に依存しなくては生きていけない小さな、小さな子供達は、どれほど熱望していることでしょう。
大人や社会を信じていない青少年、その生育の過程には、熱望しても熱望してもかなわないことに対する絶望があるのだと、改めて気がつきました。
「深い受容」この言葉について、考えてみた時、すぐに思い浮かんだのはこの本です。
私が大好きなこの本「母よ嘆くなかれ」
パール・バックのこの本は、私がなんども読み返している本です。彼女のたった一人の子供は重度障害児、そしてその後は国籍問わず6人の孤児を育てあげた、まさに、ゴットマザーです。彼女の著作から、こちらの言葉を。
あなたのお子さんが、あなたが望まれたとおりに、完全で、かつ健康な状態では生まれず、身体やこころの面で、あるいはその両方にハンディキャップを受けていたとしても、そのお子さんは紛れもなくあなたのお子さんなのです。
あなたのお子さんもまた、どんな人生を送るにしても、生きる権利と幸福になる権利があるのです
あなたのお子さんを誇りに思い、あるがままをそのままに受け入れて欲しいのです。無理解な人たちの行動や好奇の目には気を止めてはならないのです。
あなたのお子さんが存在していることは、あなたにとっても、また他のすべての子供達にとっても意義があることなのです。
強い意志をもって、子供のありのままを受け入れ、ひたすら愛情を込めて育てたいもの
嘆くよりも、希望を与える母でありたい、そう思いました。
LEAVE A REPLY