障害者の職業選択は贅沢?わがまま?〜言語聴覚士のお仕事〜
私の仕事の一つは、言葉がわからなくなる失語症や、記憶や注意力や、段取りや判断能力(遂行機能といいます)が低下する高次脳機能障害を呈した人のリハビリです。勤労世代であればリハビリの目標として「社会復帰」を考えます。これは会社に勤めるという狭い意味でなく、専業主婦でも同じで、その人がなんらかの形で社会に貢献する、つまり社会的役割として考えます。できれば、その人らしい、その人が独自にもつ強み、アイデンティティーに関わるもので復帰してほしいと願っています。本日は、その人らしさにこだわることの困難さについて書きます。
職業選択の自由って、権利のはず
さて、私たちは当然のように「自分で好きな仕事をしたい、仕事を選びたい」と思っています。願い通りになるとは限りませんが、「自分はどんな仕事をしたいか」選ぶことを、贅沢とかわがままとは思っていないはず。
ところが、障害者が「どこに通って」「どんな仕事をしたい」と希望することに社会は十分答えていないのです。脳損傷の後遺症により退職となった場合、軽度の人であればハローワークなどの支援をうけて、通常の求職活動を開始します。それ以外であれば、就労支援機関などで就労準備をしますが、この就労支援機関は数が少なく、また業務内容も限られています。支援機関に通えない、またはそこの業務内容に馴染めない人は、ほとんど就労に近いことをする手段がありません。
もしあなたが子供に何か教えることが大好きな人だったら?決められたルーティーン作業が苦痛に感じる人だったら?歌手やギタリストだったら?美容師やスタイリストだったら?
世の中にはたくさんの職業があるのに、障害者になると一気に選択肢がなくなります。「その仕事はいやです」「その場所に自分は合わない」となると「他に行くところがないのに仕方ないじゃないか」「贅沢を言っていないで、とりあえず通ってくれ」となるのです。当事者が「障害をもった今の自分を受け入れる」障害受容は新しく人生を生きる際に大事ですが、社会が一方的に「あなたはこの状況を受け入れないさい」と、受容を強要するのは違うのではないかと思っています。
最後まで残るあなたの強み。それを活用できる社会が欲しい
人にはそれぞれ得意・不得意があって、脳損傷によってできることが減ったとしても、その人のアイデンティティーに関わるような強みは残るのではないかと、患者さんを見ていて感じます。いえ、重度であればこそ、むしろ強みしか残らないのかもしれないとも思っています。
例えば、こんな人がいました。
- 重度の失語症の男性。元証券マン。鉛筆やコップなど簡単な物品の名前を聞いてもわからないし、言えないし、書けません。でも!彼は、ラジオから流れてくる日経平均株価と為替は毎日チェック、上がった下がったと身振りで教えてくれますし、新聞の株価欄には目を通し、注目銘柄には赤線を引いていつも見せてくれていました。聞けるのか・・読めるのか・・この時の担当セラピストの衝撃
- 同じく失語症の男性。元教師。通っている施設にくる若い実習生の態度や心得が気になります。今は教師として教科は教えていませんが、麻痺があって失語症という自分に関わる理学療法士や言語聴覚士の卵である実習生に向けて、リハビリとはなんぞや?当事者としての立場からでしかできない、生きた指導をしています。
- 右手が麻痺になった女性。元画家。左手でもくもくと絵を描きはじめました。何時間も、ずーっと描き続けています。その後、素人には到底描けない絵を左手で描いています。
- 右脳損傷により、注意散漫で、話す内容も一貫性がない女性。元優秀なセールスウーマンで、何十名の部下を育てた経験あり。スタッフ教育に悩む私に対し「部下を育てる心得」を、理路整然と説いてくれました。食堂で態度がなっていない職員に対しても、ぴしゃりといいタイミングで指導をしていました。
こうした患者さんの例は、快挙にいとまなく、この能力を活かさずに、デイサービスやデイケアでサービスを受けるだけになる、または場所も業務内容も限られた就労支援機関に通うだけって、社会にとって損ではないかと思います。たくさんのバリエーションがあれば、「残った能力を使って、少しだけでも社会に貢献できる」人はたくさんいると思います。
ちなみに元セースルウーマンの女性に私が打ち明けた悩みは「怒らずにどうやったら指導ができるのか?」です。彼女の答えは「あなたが信念を持って、愛情を持ちながら、相手の成長を信じて指導しなさい。必ずついてきます」でした。これは今でも心に残っています。人生、何かをやり続けてきた人の言葉は本当に深くて重いものです。
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