言葉は「用件を伝える」だけの単なる手段ではない~失語症者のお悩み~
失語症は、脳を損傷したことによって「聞く・話す・読む・書く、そして 計算」が難しくなる障害です。こうした定義は、私たち医療職は当然知っています。
いや、時々、今だに誤解があるけれども・・まあ、それは置いておくとして
しかし、結局、本人は
- 生活の中で何に困るだろう?
- 家族や知人とのコミュニケーションが難しくなると、一体何に困るのだろう?
と、本気で考えたことがあるのだろうか。SLTA(標準失語症検査)のみで評価をしている言語聴覚士さんは、ぜひ、考えてほしい。
時々、失語症の方から聞くのが、「言語聴覚士さんからは、プリントをもらって、〇付けだけ」
ある失語症の方は、回復期病院で、担当の言語聴覚士から「テキストも終わったし、やることありません」と言われたそうです。びっくり!!
テキストなんて、いかに日常生活とかけ離れているか、想像してみてほしい。
失語症は孤独病という。
こちら私が発行している月刊雑誌8月号に掲載予定の方
急性期病院では自分の子供の名前も言えなかった。その後、長期にわたり回復し、現在は簡単な会話は問題ありません。通院や役所なども全て一人でこなし、復職も実現。当事者の会を企画し運営、「失語症者の気持ち」について発信もしています。
そこまで回復した彼女を悩ませるのは、職場の人、友人、家族との「雑談」です。一対一なら話ができる、でも複数の人が一緒にいると、一体誰が誰に話しているのか、今、何で盛り上がっているのか、わからなくなる。何かを言いたいけれども、すっと言葉に出てこないので、機会を逃してしまう。業務の報告や連絡はできる、つまり用件は言えても、雑談ができないことで、彼女は非常に孤独感を感じていました。
ちょっとした雑談は、人間関係の潤滑油のようなもの。「人はパンのみに生きるにあらず」ではないが、コミュニケーションも機能的なものだけでないはず。ちょっとした雑談、それができない、みんなで盛り上がってる中に入れない、そうした孤独感にもっと私たちは寄り添いたいなと思います。
先日、浮田弘美先生のセミナーで、こうした当事者のお悩みに対して、「話すことだけが会話ではない。相槌を打ったり、関心を持って横にいるだけでも輪に入っている。いつか話のターンが回ってくるかもしれません。それから世の中の情報にアンテナを張っておくといいですよ。」とアドバイスされていました。機能改善は難しいとしても、輪に入れないと悩んでいる当事者の方に、「こういう形でも会話の輪に入っていることですよ」と、リフレーミングをするのも、大事な私たちの仕事だと思います。
おしらせ
冊子についてはこちら→脳に何かがあった時
浮田弘美先生のセミナーについては、参加者のブログをご参照ください→会話に参加できない
先生の談話障害についてのセミナー動画のお問合せは https://re-job-osaka.org/contact
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