退院したあとの生活、低下した機能〜高次脳機能障害者の声なき声〜言語聴覚士というお仕事

退院したあとの生活、低下した機能〜高次脳機能障害者の声なき声〜言語聴覚士というお仕事

先生、もう隠居生活と一緒でしょ?何をして生きていったらいいんですか?もう死ぬのを待つだけじゃないですか。仕事も何もないし。いいんですよ、それで。僕は、ポジティブなんですよ、どんな時でも前向きですよ、だからいいんです。

医療機関におけるリハビリでは、歩けるように歩行訓練、トイレでの排泄は行為ができるように生活動作訓練、注意・記憶・コミュニケーションが改善するように言語訓練を行い、機能改善を図っていきます。では、退院した先の生活はどうなる?その後の長い長い生活を、支えるシステムが日本では不十分です。今まで通りの仕事は難しいにしても、なんらかの仕事ができそうな人はたくさんいます。でも、雇用先がない。通勤手段もない。

こうして家に閉じこもって、せっかく改善した機能が低下する人は多く、彼も、リハビリ病院を退院したときに、ある知能検査ではIQ100まで改善していたのに、私が出会ったときは、30以上も低下しておりました。
話をまとめる能力が低下して、何が言いたいのか伝わりにくくなっていました。相手の話を理解するスピードも低下し、家族と漫才を見てもスピードについていけないので、何が面白いのかわからず笑えない。結果、団欒の場面でも孤立していきます。結果、このストレスを発散する手段も限られているので、家族に怒鳴ることしかできません。

一生懸命、必死で取り組んだリハビリは、何のためだったのでしょうか?そんなことを感じました。
そして、発症して何年も経っているけれども、もう一度、機能は改善するのだろうか?とも思いました。
使わないことによって機能が低下することを「廃用」と言います。そして、合併症がない限り、廃用は活動性をあげることで改善することが多いのです。なので、もう一度、改善するのではないか?と考えました。

高次脳機能障害について知ってもらうことが残された役割だと思っている彼に、私は、「この作文を必ず世の中に出して見せましょう、理解をしてもらえるよう頑張りましょう」と持ちかけました。その瞬間の反応を私は忘れることがないと思います。

先生、山が動きました。
山は、なかなか動かないんですよ。動かなかったんですよ。山を動かすのは、大変なんです。
やっと、やっと動きました。

こう言って、涙をこぼしました。隣で奥さんも涙ぐんでいました。

冒頭の言葉「だからいいんですよ」は、決して心からの言葉ではありません。医療や福祉、そして行政として関わる支援側の人は、言葉の奥まで探っていく必要があります。患者さん、家族さんの「もういいんですよ」という声を、そのまま「障害受容」として捉えるだけではいけないと、改めて心を引き締めました。このあと、彼は、もう一度、原稿用紙に作文を書き始めました。

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