僕が障害を認めるまで~高次脳機能障害者の声なき声~
今日からNPO法人エスペランサ代表を務めている岡﨑憲司さんを紹介していきます。かれは養護施設に暮らす子供たちに笑顔を届けたいと、100名以上のボランティアを束ねて活動しています。1年半前、初めに出会ったとき、彼のあまりにエネルギッシュな言動に圧倒されました。そして障害についてかなり熱く語っていましたが、当時はまだ当事者であることを公言するのに迷っていたそうです。
自己紹介
僕は優しい人間です。自分でこんなことを言ってしまうっておかしいって言われます、でも堂々といいます。
まあ、たとえて言うなら「ブレーキの壊れた車」です。
僕は、17歳で事故にあいました。その時、病院で脳挫傷レベル4
99%死ぬ、1%植物人間と言われたそうです。このころのことは、まったく覚えていません。
身体は動いていても認識はなく、半年経ってハッと我を取り戻したが、しばらくはずっと知能低下し、黒い膜に覆われているような感覚だった。わかりますかね、こう、頭にずーっと膜が張り付いたような感じなんですよ。それが、ある日、すっととれたんです。もう治ったわと思いました。
退院してから続く、ひっちゃかめっちゃかな生活
一番の悩みは、やったらあかん、言ったらあかん!と思ってる、わかってるのに、でも、やってしまう。...太った人をみたら「でぶ」、頭にけがない人を見たら「はげ」、ついつい言ってしまうんです。トラブルになったことも何回もあります。でも、止められないですよ。
あと怒りまくったあと、忘れてることも多い。記憶がすこんと抜けてる
楽しいことがあっても、「あんなことあったよね」と言われても覚えてないんです。
社会でうまくいかないことがあったり、おかしいと指摘されても、僕は普通!周りのみんなが障害者!と思っていた。疑ってなかったです。「何言ってる?お前が変だろ!」と思って、口にも出していた。たくさん友人を失いました。
記憶をなくすこと、トラブルの多いことで若年性認知症かと思い、ある病院に駆け込み、そこで「高次脳機能障がい」と言われました。
事実を突きつけられ、ストレスで夢遊病になりました。
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