失語症リハビリ、全てのスタートはSLTA標準失語症検査から!竹田契一先生のご講演
言語聴覚士の学術大会に参加してきました。絶対に聞きたい!と前日入りして、朝一番に参加したのは、竹田契一先生「日本における失語症創世記の流れと標準失語症検査」のご講演です。竹田先生は、若い頃にアメリカに渡り、失語症について学びと経験を積んで帰国された人で、日本の失語症リハビリテーションの第一人者です。
アメリカにおける失語症リハは20世紀初頭から始まっている
そもそも日本よりもコミニケーションを非常に重視するアメリカだけあり、失語症リハビリも早くから始まっております。1925 年には職 能・学術団体である ASHA(American Speech-Language and Hearing Association)が結成され、その後、臨床、教育、研究のすべての領域において飛躍的に発展しました。
この中で特筆すべきものとしては、
Wepmanが提唱し、1955年メイヨークリニックに勤務していたHidred Schuellが提唱した刺激・促通法。聴覚的刺激を繰り返し行うというこの方法は、今でも根幹をなすものです。詳細はこちらをご覧ください→st−mediahttp://www.st-medica.com/2016/01/sigekihou-schuell.html
ちなみにメイヨークリニックは、脳神経領域では最も進んだ病院だそうで、全米から患者さんが訪ねており、多くの失語症患者がいたそうです。いまだに全米クリニック第1位ですね。
1962年Tikofskyが失語症リハビリのモデルとなるべく取り組みを始めます。彼は、発症2ヶ月以上の失語症者20名を対象に、12週間の合宿形式の集中セラピーをします。ここでは毎日9時から15時まで促通法を主体とした言語訓練を個別、集団併せて実施したのです。すごい!長嶋監督レベルです。もちろん高齢者は少なかったようですが。
1971年には、私たち言語聴覚士にとって発語失行でおなじみのDarleyが投げかけた「われわれ失語症訓練に費やした時間、努力、金は、費やしたものに見合ったものであるか?」という疑問。ここから訓練効果というものが検討されていきます。
日本の失語症研究の創成期、こんなに熱い思いで始まった!
日本では1963年ごろから、東京大学病院の系列である鹿教湯温泉病院や、慶応大学病院の系列である伊 豆韮山温泉病院で失 語症の言語治療開始されています。
1964年にアメリカよりMartha Taylor Sarno女史が来日し、鹿教湯温泉病院で言語治療を指導、笹沼澄子先生を中心に80名のデータを収集し始め、その後、笹沼先生が渡米、竹田先生が引き継ぐ形となったとのことでした。このあたり、教科書に掲載されていることがドラマのように立体化してきて、言語聴覚士の端くれとしては、わくわくします♪
1966年、東大耳鼻科より言語病理学初級入門講座が開催され、失語症リハビリテーションを担う方の養成が始まります。この時のお写真を公開されていましたが、大御所の先生方がずらり。そして、机もなく膝の上でノートを取っている姿も!「ここが失語症リハビリテーションすべての始まりです。当時は、教える方も試行錯誤で、期間は1年だし、生徒は大変だったと思う」とのこと。それでも付いて行った生徒は、本当に優秀ですよね。教え方が悪い!なんて言っている現代とは大違い・・
1968年〜75年にかけて、長谷川恒雄先生のご尽力で、厚労省より特別研究費が確保され韮山温泉病院で失語症治療について研究会が発足、「ここが臨床研究の始まり」
1973年には、発症して3ヶ月経過した7名のブローカ失語症7名に、3〜4時間3ヶ月の集中訓練を実施します。毎晩カンファレンスをして評価、訓練プログラムの立案、経過についてデータを取る毎日、「部屋がない、器具がないとかそういう口述を許さず、あらゆることをすべてやってみる!という環境でした」お写真からも熱気が伝わってきました。
SLTA標準失語症検査の開発
当時、各大学病院で独自に開発された失語症検査を統一化が必要となり、竹田先生は長谷川教授が書いた親書を携え、各大学教授の門戸を叩き「標準失語症検査を作成する意義」つまり「欧米の検査を輸入するのではなく、日本語の体系、文化にあった検査がどうしても必要なのです。そして、全国共通のものでないと治療、研究ともにすすまない。これは診断のためでなくリハビリテーションをしていく上で必要な検査です」と訴えたそうです。すごい!国内外の大量の検査を検討して試案を作りつつ、こうして理解を得るために白い巨塔を回っていく若い先生の熱意には感動しますよね。「すべてのスタートはSLTAからです」とおっしゃった先生の胸中はいかばかりか。
1976年SLTA標準失語症検査として完成。この検査については、言語聴覚士ならみなさんご存知の通り、1〜6までの多段階評価となっており、◯X方式ではないため、質的評価ができるのが特徴です。「」という主旨が込められています。ここは、私が実習生の時に、「できた・できないではなく、細かい質的評価を大切に」と、バイザーの先生からご指導いただいたことでもあります。
出展は当事者によるブログから
そして日本失語症研究会が発足され、その後、1981年に学会誌の発行、2003年には高次脳機能障害学会に変更となり、いまに至っております。詳細はこちら→一般社団法人高次脳機能障害学会
竹田先生の記事はこちらをご覧ください→我が国における失語症リハビリテーションの流れ
講演を拝聴して
実は私が大学生であった1990年のころ、竹田契一先生が日本に学習障害という概念を紹介したことを知りました。当時は大阪教育大学で障害児教育に関わっており、どちらかと言えば、学習障害の分野で存じ上げていたのですが失語症にしろ学習障害にしろ先生が日本の言語聴覚療法に大きく寄与したことが改めてわかりました。
そして、なによりこの創成期の先生方の熱意には驚くばかり。当時は、日本全体に勢いがあった時代ですよね、為せば成る!と、普通に思っていたのかもしれません。
- これがない、あれがないと物がないことを言い訳にせず、工夫して作り出す
- 行政が、医療制度が認めてくれないことで諦めもせず、訴え続け
- 情報がないのなら自分たちでデータを取って研究をしていく
すべては、「こういう症状で苦しんでいる人がいるから、なんとかしたい」という思いだけで突き進んでいった先生方のご尽力、熱意に敬意をしつつ少しでも引き継げるようにがんばろう!って改めて思いました。
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