ある若い失語症の女性の話

ある若い失語症の女性の話

 その頃、頭痛が続いていたんですね、結局これは肩こりだったんですが。あまりに続くので、安心のために、ちっちゃいクリニックに行ってみたんです。記念にCTでも撮ってみる?という軽い気持ちで撮影したら、「もやが見えてる!これはやばい!」ってことになって、大きな病院を受診をすすめられて、そこから大きな病院に紹介状を持っていき検査したんです。そこで、未破裂脳動脈瘤があるとわかったんです。また数日空けて、造影剤をいれて検査したら、8ミリの大きさだったので、これは大変ってことで、手術になりました。でも、手術したものの、場所が特殊だったので、手術が長引き、その間に、血流が一時期、低下してしまったらしいのです。そして、後遺症として、高次脳機能障害と失語症になりました。

 当初は、まったく発語ができなくて、「おはよう」「ありがとう」も難しくて、「頭いたい」「帰りたい」だけしか言えなくて、胃が痛くても、お腹が痛くても、それを言えなかった。「いたい、いたい」くらいです。ほんとに何も、何も、しゃべれなかった。首を振るなどの相槌だけでした。ナースコールを押して、看護師さんが来るじゃないでですか。「どうしました?」と言われても、「あ・・あ・・」って、千と千尋の神隠しの顔なしみたいな感じでしたね。こうなの?あれなの?と言われて、「うん」「ううん」って、相手の言葉に反応するだけ。

 私は、昔からおしゃべりで、食事の時も食べずにしゃべっているような子供だっだんです。うるさいって言われるくらいだったんです。仕事もお客様と話すのが好きだったんです。そんな私が言葉が話せなくなるなんて、もう、アイデンティティーがなくなった、自分の価値がなくなった、どうやって生きていくんだと思っていました。入院中は何もがんばっていない、リハビリテーションなんてやる気になれないですよ。一日がただすぎるのを待っていました。死にたい、ほんとに死にたかった。どうにか生きる気力をつなぎとめることに必死でした。どうやって死のうかなばっかり、、

 退院したあとも、リハビリテーションに来てねってことで行ってました。なんとなく通っていました、でも、ある日、壁に貼ってある失語症の人の記事が目に入ってきたんです。それまでも掲示されていたと思うのですが、目に入ってなかったんですね。でも、この時は目に止まって。この人だれだろ?って思って、言語聴覚士の先生に聞いたんです。そうしたら、失語症になったあとに小学校に復職した馬渕さんという男性でした。

 

え!失語症でも、学校の先生に戻れるんだ!

まだ私にも出来ることがある!負けてられない!

 

 もうびっくりして、さっそく、馬渕さんがいるやすらぎの会に参加してみたんです。驚きました、あ、仲間がたくさんいる!私だけじゃない!って思った。私も馬渕さんみたいになりたいって思ったんです。

 

入院していた時に、同じ病院に、若い患者さんがいたんですね。彼は麻痺があって、私よりめちゃくちゃ大変でした。でも、その人が段々、良くなっていってるんですよ。当時は、もう平行棒っていうのですか?あれを使って、理学療法士さんに支えられてようやく立っていたんですね。でも、外来で会ったときは杖で歩いてたんですよ!

  やばい!すごい!って

ここでスイッチが入った感じですね。これまでは意欲ってあまりなかったんですよね。

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すべての人が、自分らしく社会参加できる、自分の力を活かして稼げる「幸福な経済圏」が作れたらいいなと思って活動しています。

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    現場19年、大阪の元気な言語聴覚士が、患者から学んだ人生の処方箋。
    コロナ禍の中、先行き不透明な時代にこそ、多くの方に読んでほしい!
  • 講演・研修多数
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