~コロナ禍と高次脳機能障害~ 立っているだけで精一杯の状況って?
おはようございます。言語聴覚士の西村紀子です。この記事では見えない障がいと言われる『高次脳機能障がい』・『失語症』についてお伝えします。ご本人・ご家族・言語聴覚士を始めとする支援者の方が少しでも生活における困りごとと背景について理解することができるよう書いていきます。
昨年、関東地域の「高次脳機能障害者支援普及事業」の講演会で、文筆家であり高次脳機能障害者の当事者でもある鈴木大介さんと、講師を努めました。テーマは「コロナ禍と高次脳機能障害」です。その中から、トピックをいくつかご紹介します!
麻痺がないなら大丈夫?
脳損傷の後遺症である、高次脳機能障害は「認知」機能の障害と言われています。多くの人は、たくさんの情報に囲まれると、情報処理が追い付かなくて、「わ!なにこれ?」と、混乱することがあるようです。そんな時に、過呼吸になったり、身体から力が抜けてしまうような虚脱感を感じたり。さらに吐き気やめまいなども。こういう症状が出ると、麻痺がなくても、「身体」の問題が生じますね。麻痺がなかったら、身体はOKではないわけです。
立っているだけで精一杯の状況って?
さて、高次脳機能障害者は、周囲にあふれる情報を処理するのがとても苦手になります。そのため、周囲にあふれる情報処理が追い付かなくて、混乱してしまうことが多々あります。例えば、全く新規の場所で聞いたことがない話がでたとか、いきなり複数の人と話をすることになったとか、複雑な話を一方的に言われたときとか、ダイヤが乱れた時の駅の構内放送とか・・考えると、社会とかかわっていたら、日ごろの生活でたくさんありそうです。
こうなると、本人は立っているだけでも精一杯という状況。だって、立つという姿勢は、重力に逆らっているわけで、つまり、足底に感じる刺激から脳が「重力に逆らえ!」と指令を出して、筋肉の緊張をコントロールすることで成り立っています。なので、立つだけでも、情報処理の容量を使っているのです。
もちろん、もっと高度な情報理処理を要する周囲に配慮はできませんし、自分がどんな様子なのか、他者からみた自分の姿など、気がつきません。
やわらかいプリンって?
さて、鈴木大介さんはこんな表現をして理解を求めていました。
「ぎりぎり形を保っている、やわらかいプリンを想像してください。ゆるすぎるプリン=自我、現実感です。なので、ちょっと何か、刺激過多になってしまうと、プリンがぐちゃっと崩れてしまうんです。それを一生懸命、保とうとするだけで精一杯なんですよね。」
あやういバランスの上に、成り立っている自我・現実感。当事者インタビューでもよく聞かれたのが、この現実感のあやうさ、希薄さです。離人感とも表現できるような感覚です。「自分のことなのに、なんとなく他人を見ているような感じ」「自分が登場する夢を見ているよう」そんな表現が聞かれました。
病院に勤務しているとき、病状や退院など「本人にとってとても大事な話」をしているのに、どこかぼんやりとした表情でいた患者さんがほとんどでした。「自分の話ですよ」と注意喚起をしても、あまり改善がなく。あ、まだぼんやりしているのだな・・と思っていました。もしかして、本人からすると、一生けん命に自我を保っていたのかもしれません。
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