第三者返答は悪なのか ― 必要な支援と、本人を消してしまう支援

第三者返答は悪なのか ― 必要な支援と、本人を消してしまう支援

「第三者返答」という言葉を聞いたことがありますか?

 

関西学院大学のオストハイダ・テーヤ教授が2005年に提唱した概念で、「話しかけてきた人の見かけの印象などから、意思疎通が問題ないにも関わらず無視して、一緒にいる人に返答すること」と定義されています。

 

たとえば、日本語堪能な外国人が注文しているのに、店員が隣の日本人に確認する。車いす利用者が質問しているのに、介助者に向けて返答する。失語症の方がいるのに、家族に説明する。

 

こうした場面は、障害のある方や外国にルーツを持つ方に限った話ではありません。

 

会議で女性が発言しているのに、その意見が流されて、後から男性が同じことを言うと採用される。声の大きい人の意見が場を制する。

 

パワーバランスや「この人とはうまく話せない」という思い込みが、本人を会話から見えなくさせてしまう。これは、実はとても普遍的な現象です。

 

第三者返答そのものが悪いわけではありません。

 

コミュニケーション障害のある方には、必要な場面も多くあります。本人の言いたいことを整理して代わりに伝える、通訳のような役割が求められることもあります。

 

でも、

 

本人を補助する支援

 

 

本人を飛び越えてしまう支援

 

は違います。

 

第1回でご紹介した担当者会議の場面も、ある意味でこれに近いものがありました。本人に向けて話しているようで、本人の声が入る余白がなかった。

 

大切なのは、本人の意思を聞こうとしているか、伝えようとしているか。

 

第三者を経由してもいい。でも最後は、本人に向かっているか。

 

その意識が、支援の質を変えると思っています。

私の活動

 

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