子どもを保育園に預けて言語聴覚士に!
昨日、オンラインサロンの交流会で、今回、出版した本を含めて、インタビューをして頂きました。そこで、いろいろ思い出したので書き綴っています。いや~あの頃は若かったと言いたいのではなく、あの、無我夢中であったことを思い出して、自分が自分に勇気をもらいました。不安とか、もやもやするとか、そんなこと言ってる場合じゃなかった。
そもそも、言語聴覚士ってどんな仕事をするのですか?
成人、小児、また、言語、嚥下、聴覚障害、吃音など、いろんな分野があるのですが、私はずっと
脳卒中や頭部外傷の後遺症による失語症や高次脳機能障害、
変性疾患や、肺炎、虚弱高齢者をふくめた嚥下障害のリハビリをしています。
終末期になるとリハビリと言っても、経過を評価するなどになります。
そのあたりのことは、ぜひ、こちらの本を読んでください。
どうやって言語聴覚士になるのですか?
さて、言語聴覚士になるには、今は、4年生大学の「言語聴覚学科」、または大学卒の人がいく「2年制の専門学校」が主流。
学校はこの数年、びっくりするくらい増えています。
さて、ここから、私のびっくり奮闘記に突入!
私は子供2人を保育園に預けて養成校に通ったんですね。ちょうど下の子が1歳になった時に、子供を抱っこして新聞をめくっていた時に、言語聴覚士が国家資格になったことを知りました。何故か「この仕事だ!」とビビットきてしまい、私は早速調べて始めました。とはいえ、まだあまりネットが進んでなかった時代です。
車で20分位のところに養成校ができたことを知り、入学説明会に行き、「決めた」ここまで2週間!
受験をすることを決め、その後、保育園を申し込むと言う・・順番が逆ですね。
なので受かったはいいが、下の子が2歳児保育で激戦!「保育園に落ちたらどうしよう」と不安な日々を送っていました。このあたりは、今も解決されていない問題ですね。いろいろ情報収集しまくって、困窮した雰囲気でとか、笑。そんなのが有効なのか知らないけど。
さらに保育料もハンパなく高く、かつ養成校の金も高かった。
「お金をどうされたんですか」と質問されたのですが、その時も必死でしたね。結局「これまで私にはお金をかけてもらってないでしょ、今回は出してくれ」と頼み込んだ母親からお金は借りられず。というか、養成校に通うのに大反対!子供が小さいのにわがまま!のひとこと。
育英会で有利子の奨学金を申し込みました。
なので働き始めて、数回のボーナスを全て返済につぎ込ぎました。まだマンションのローンもあったので、結構厳しい生活でした。
「実習の間はどうしたのですか?」と。そう、これ、めっちゃ大変で、思い出したくない!
当時はまだ言語聴覚士がいる病院もほとんどなかったので、学校もなるべく近くを探してくれたのですが、片道1時間以上かかるところに12週間ほど通っていました。結局子供を見ると言う主人の仕事の都合が全然つかなくて、実習開始の1週間前に、大反対していた私の母親がパートを止めて、下関から大阪へ!
おばあちゃんがいても、保育園が車の送迎だったので、結局行き帰りの送迎を同じ保育園に通う近所のお母さんや、専業主婦のお母さんに頼むという・・
ほんとにみんなを巻き込んでの養成校時代でした。
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