障害ってなんだろ?~言語聴覚士というお仕事~

障害ってなんだろ?~言語聴覚士というお仕事~

障害って何を表現しているのだろう?と、時々考えます。Eテレコメンテーターの玉木幸則さんは

障がいとか、しょうがいとか、障碍とか、表記を変えることで社会(まち)に
障害があることをごまかしているのではないだろうか

とおっしゃっていて、私も同感。表記を変えるだけで、差別していませんよ、配慮していますよとアピールしている雰囲気を感じなくもない。でも、「障害者」と言われると、自分の存在は社会にとって害なのか?と抵抗を感じるのもわかる。

ICF(国際生活機能分類)による障害とは

再び上田敏先生の講演に戻ります。この中では障害は3つのレベルを含む包括概念であり、その人にとっての「生きることの困難」を示すと、定義されています。3つのレベルとは

  • 「心身機能に困難や問題が生じる機能障害」でこれは生物、生命レベル
  • その上が「具体的な行為に困難や問題が生じる活動制限」でこれは個人、生活レベル
  • もっとも重要なのが「社会でなんらかの役割を果たすことに困難や問題が生じる参加制約」で、これは社会、人生レベル

その中で生きることで最も重要なのは参加であり、他の2つのレベルは参加を実現するために必要なものとされています。めちゃくちゃ乱暴にまとめると、社会参加ができれば、麻痺があろうと、歩行に問題があろうと、障害はないということです。反対に、身体は健康、活動にもなんら制限がなくても、社会参加ができない状態があれば、それは問題であると考えることができます。ここまで障害の概念を広げていれば、引きこもりとか、孤独な高齢者とか、ネットカフェ難民とか、昨今クローズアップされてきたものについて、もっと早くから対策をとっていたのではないかと感じるのは私だけでしょうか。

生きづらさから考える障害とは

長らく精神障害に向き合ってきたさわらび診療所の稲垣亮祐先生は

障害者とは生活障害を被るものである。
精神病=精神障害ではなく、精神病は慢性になりやすく(完治しにくい)→そのうち生活が困り始める→生活に障害が出始める、この段階で精神障害者となるそして、この生活障害は、誰が感じているのか?個人の問題なのか?そもそも、何か一つが欠けると生活が難しくなる社会のつくりの問題ではないか

問題は、障害があるとされる本人だけとは限らないと多くの人は気づいていると思います。
では、社会のバリアフリーが進めば、生活の困難さは軽減されるのか?これについては、高次脳機能障害者の当事者の立場から講演活動をされている
小林春彦さん、鈴木大介さんが同じことを発言されていました。

誰かのためのバリアフリーが、ある人にとっては障害となりうる
点字ブロックは、麻痺で杖をついている人にとって危険大きな音量で、最近は他国語で流れる音声案内は、感覚過敏の人にとっては過剰な情報で、パニックになることもある

このように簡単には解決できない問題がたくさんありそうです。
脳性麻痺の玉木幸則さんは

「〜障害」と障害名だけで障害を区別することは難しく、地域社会で阻害され生きづらさを感じている状態のことをいう。そしてそれを生み出す、地域社会
の仕組みや、それを作ってきた人たちの意識(こころ)の中にこそ障害が潜んでいる。

と言われています。いくら段差をなくしたり、車椅子を配置したり、障害者雇用率を改善しても、異質として阻害する社会であれば意味がないですよね。

最後に余談・・でも示唆に富む話

ちなみにアメリカに留学している娘によるとDisability(できない)は、ネガティブな言葉であまり使用しない、with dificulty( 困難を伴う)と表現するのが一般とか。困難だけど、できないわけではない。なるほどなと、納得。普段使う言葉って影響力が大きいので、この差は大きいと思いました。できないでなく困難を伴うと言われたら、何かしら工夫したり、お手伝いすれば、何かしら障害がある人もできるようになるのだと感じませんか?そして、病気やケガでないけれども、いきづらくて社会参加が難しい人も包括できる気がします。

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