私たちのコミュニケーションを支えるものは?佐藤裕史先生の講演〜言語聴覚士のお仕事〜

私たちのコミュニケーションを支えるものは?佐藤裕史先生の講演〜言語聴覚士のお仕事〜

医療と健康、そしてリハビリの情報〜言語聴覚士というお仕事〜本日もよろしくお願いします

私の仕事の一つは、失語症高次脳機能障害といったコミュニケーションに問題を生じた人のリハビリと支援です。昨日、第39回、高次脳機能障害学会の学術大会に参加してきました。この中で最も胸を熱くして拝聴したのが佐藤裕史先生の「言語と非言語のあいだで〜臨床を支え導くもの〜」という講演でした。

コミュニケーションって何?

そもそもコミュニケーションってなんでしょう?
自分の意思を伝え、相手の意思を理解することです。なので、手段は「話す」「聞く」と言う音声言語、「書く」「読む」という文字言語だけではありません。ジェスチャーも、表情も、声のトーン、その人が発する雰囲気など、すべて含まれます。前者を「言語」後者を「非言語」とすると、私たちのコミュニケーションは「非言語が85%」を占めるそうです。目は口ほどにものを言う以上なんですね!

臨床におけるコミュニケーションの問題

そして、今、臨床にたつ私たちの問題として「コミュニケーション能力の一貫した低下」が挙げられます。これは、一昨年、言語聴覚士学会で平田オリザさんの講演でも指摘されていたことです。原因としては

  • 大人になる過程での、多様な人々と触れる体験が激減した
  • スマホ、PCの普及による電子機器でのやり取りが増加

が、挙げられます。

言語は正確で効率的なものです。学習でも仕事でも言語を重視する、つまり言葉で表し理解することを重視し、言葉を超えたものを発して感じる能力は軽視される傾向にあります。でも、臨床では多くの問題や悩みを抱えた患者さんだけでなく、家族さんと接するにあたり、相手の気持ちに共感し、信頼ある関係を築くには非言語がとても重要となります。
私たちが病気になって、あ〜信頼できる!と思う医療者は「言葉が巧みな人」でなく「わかってくれる人、安心できる人」ではないですか?言葉の裏に隠された意図や気持ちを汲み取って、落ち着いた話し方や声で語ってくれる医療者ではないでしょうか?

言語が障害される失語症、非言語が困難となる高次脳機能障害

失語症では主に言語が障害されます。私たちはカルテに言語能力だけでなく「礼節が保たれているか」「知的面はどうか」「状況理解はできるか」といった非言語の能力についても評価して記載します。この非言語の能力を言語訓練では重視します。言語聴覚士が発した言葉を、理解したのか曖昧なのか、患者さんの表情や目線で評価します。患者さんが、言葉がでない時、何を伝えたいのか、たくさんの手段を持って汲み取る努力をします。最もスキルが問われるのが、この部分です。以前、私は、ベテランの先生から、患者さんが何を伝えたいのか理解できなかった場合、それは言語聴覚士の能力不足「あなたが伝えたいことが、わからず、すみません」と、はっきり伝えるように指導されました。

高次脳機能障害の方は、言語能力は保たれていますが、相手の表情から意図を汲み取ったり、場の空気を読むことが難しくなることがあります。また、自分の意見を相手に合わせて要領よくまとめて伝えることも難しくなります。これらが社会生活において、問題となってきます。訓練では「今の私の表情を見てください」と相手の表情を読み取る練習、そして、患者さんの言葉をすべて書き取って「ここの部分がよくわからないです」と指摘して再度、相手に伝わりやすいように文章を考えなおす練習をします。

最後に、忘れられないエピソード

これは平田オリザさんの講演で聞いた内容です。急変して一向に改善が見られないご主人の看病をしていた奥さんが、何回も看護師さんに「血圧が下がらないのです。この薬を飲む必要があるのですか?」と聞きます。毎回、看護師さんも主治医も、ご主人はどんな状態で、このお薬はどういう作用があるか「お薬の効用」について説明しますが、奥さんは納得しません。そこに、高齢の医師が回診できます。もちろん、奥さんは同じことを聞きます。で、その医師が言った言葉が「奥さん、つらいね。」の一言です。この言葉を聞いた奥さんは頷いて二度とお薬のことを聞かなかった。
そうです、奥さんは不安でつらい気持ちを伝えたかったのです。「お薬は必要ですか?」という言葉に乗せて。
相手の気持ちを汲み取る非言語の能力、これを軽視しないよう心したいと思います。

私の活動をご紹介

 

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