重度失語症者に対する支援、最優先は聞く力〜言語聴覚士のお仕事〜

重度失語症者に対する支援、最優先は聞く力〜言語聴覚士のお仕事〜

脳卒中や頭部外傷などの後遺症のひとつに、失語症があります。ほとんどの方は左脳に言語を司る言語野があり、その部位を損傷すると「聞く」「話す」「読む」「書く」の能力に障害が生じます。詳しくはこちらのサイトをご覧下さい。

失語症者の状況をわかりやすく例えると、ここは日本であるのに、まるで外国にきたように周囲で交わされる言葉がわからないのです。外国の言語はもともと記憶にないものであるのに対し、失語症はこれまで獲得してきた言語の記憶を失ってしまった状態、いえ失ってしまった状態というよりも、記憶から引っ張ってくることができない状態で、アクセス障害と言われています。もちろん、失語症も軽度から重度まで障害の重症度も違いますし、呈する症状も様々です。今日は、その中でも「重度」と分類される失語症者への言語訓練と支援についてお伝えします。

 「聞く」能力が障害されると、意思を伝えることまで難しくなる

重度の人は「聞く、話す、読む、書く」すべてが重篤に障害されています。相手が何を言っているのか、単語でも理解が困難となります。しかし、私たちが相手の言いたいことを理解するときには、言語だけでなく表情や身振り、そのときの状況など非言語の情報も取り入れて理解しようとします。たとえ「聞く」能力が重度に障害されていても、なんとなく相手が言いたいことを理解することができるのは、こうした非言語情報によって、障害された「聞く」能力を補うからです。例えば「ごはんですよ」という言葉が分からなくても、実際に食事が配膳されると、食事の時間になったことがおよそわかります。「あぶない!」と言われた場合、切羽詰まった相手の表情から何か危険なことがあると察することはできます。

しかし、もう少し具体的な内容となると、重度の失語症者は家族や周囲が思っているほど言語を理解できておらず、「はい、いいえ」という意思表示もあいまいで、ほとんどが「はい」の表情や身振りになる傾向があります。「頭が痛いですか?」に「はい」、「お腹ですか?」に「はい」となり、どちらが痛いのかわからない。「トイレですか?」に「はい」と答えるので、トイレに誘導しようとすると、違うというジェスチャーがみられることもあります。「ごはんですか?」「テレビですか?」「お茶ですか?」といろいろ尋ねても、どれも「はい」と頷き、そして用意すると「違う」と主張し、首を振っているなどということはよくあります。このため、本人だけでなく、家族や周囲の人からは「何が言いたいのかわからないから、話せるようになってほしい」という「話す」ことに対しての希望が最も強くなります。しかし、言語聴覚士は、話すことを訓練の中心におくことはしません。なぜなら、コミュニケーションにおいて、自分が言いたいことを話すよりも、相手の言葉を聞いて理解する方が重要だからです。

最優先すべきは聞く能力。言葉を聞いて理解することと、相手に注意を向けること

私たちのコミュニケーションは、まず相手を理解することから始まります。自分の意思を言葉で表出することができなくても、相手が「〜ですか?」と問いかける言葉を理解さえできれば、「はい」「いいえ」だけで自分の意思をある程度伝えることができます。

ところが、重度の失語症の方は、相手が自分に問いかけている言葉を理解するのが困難です。さらに言葉がわからない、話せないことへの焦りもあり、相手の言葉に注意を向けるのも難しいのです。私たち言語聴覚士は、まずは非言語情報をなくして、言葉だけでどの程度の理解ができるかを正確に評価しなくてはなりません。その上で、単語、それもその人が日常生活で頻繁に使う単語から、確実に理解できるように訓練することが大切です。同時に、話し相手に注意を向けることも訓練しなくてはいけません。注意を向けることで非言語情報を使って理解を補うことができるし、「はい、いいえ」が正確になるからです。

言葉を聞いて理解できる、そして、話し相手に注意を向けることができる、この二つを合わせて「聞く」能力となるからです。

 表出は、言語にこだわらない

確かに自分の意思を言語で表出できれば、聞き手は楽に理解することができますが、表出の手段を言語だけに限定する必要はないと考えます。残念ながら、重度の人は回復が緩やかです。発症して間もない頃であれば、脳の自然回復も期待できますが、ある時期を過ぎると大幅な回復は困難です。その場合、意思を相手に伝える手段として、言語にこだわるよりも、なんらかの代償手段を用いて意思表出ができないか探すことが大切です。絵が描けるなら絵で、ジェスチャーでも指差しや身振りでもいいのです。相手の質問に対し、◯ × の記号を指すことでも伝わります。

ほとんどの方は、これまでの慣習に沿って、言語で表現しようとするものです。そこで、言語聴覚士は「こうした代償手段があります。これを用いると、言語よりも簡単に自分の意思を相手に伝えることができます」と、お伝えし、体験を通じて理解を促さなくてはなりません。そうして、このような手段を使えるようになるための訓練、支援も根気よく続ける必要があります。同時に、周囲の人に対しても代償手段について説明をしていきます。

 できないことではなく、できることを評価して支援する

私たちは、障害を持つ人に対し、どうしても「何ができないか」に注目しがちですが、重度の人こそ「何ができるか」を評価して、そこからコミュニケーション手段を探っていかなくてはいけません。例えば、

  • 簡単な単語なら理解できるのであれば、単語だけで話しかける
  • 書いた文字と一緒に言葉をかけると理解できるのであれば、文字も提示する
  • 「おはよう」「ありがとう」など挨拶ができるのであれば、挨拶だけでも言語でコミュニケーションを図る

そうしたことを積み重ねていくことが大切なのです。中には相手の話に注意を向けることさえ難しい人もいます。その場合、少しでも相手に注意を向ける場面はないか、そこから評価を開始します。

失語症を呈した人が、病前の「言語を介してのやりとり」にこだわるあまり、コミュニケーションの機会を損失する、さらにコミュニケーション自体をあきらめる、そのようなことがないように、最も優先すべきは「できること」の積み重ねだと考えます。私たち言語聴覚士は、失語症の人が「できること」を評価し、失語症者と周囲の人も合わせて、代償手段を使った新しいコミュニケーションの取り方が定着するように支援していく必要があるのです。

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