貧困は個人の責任でなく、政府の責任である

貧困は個人の責任でなく、政府の責任である

格差社会が言われて数年です。いつ頃からか、貧困が「個人の努力不足」として言われ始め、「仕方がない」という空気になりました。今や、みんなで豊かになろうという考えは幻想になり、むしろ少しでも豊かな人をひきずり下ろそうという飛んでもない空気も出てきました。やばいですよ、これは。そして、この本を読むと、こうした個人の問題となっていること自体がおかしいと気づくと思います。

 

貧困は、政府が作っていることがよくわかります!

シングルマザー その後

貧困は政府が作り出している?

かれこれ20年以上も前のこと。夫婦ともに銀行員の友人が言った言葉を思い出します。

『勝手に離婚して、シングルになって、お金がないって、知らんわ!事情がある人なら仕方ないけど、安易に結婚して、すぐに子供作って、別れて、そんなの本人のわがままやろ。そんな人になんでお金を使わないとあかんのか、わからん』

彼女は夫婦ともに高収入だったので、保育園の費用がすごかった。確かに世帯収入からすると「払えるよね」って金額だったが、同じサービスを受けるのに親の負担するお金の差が大き過ぎる。夫婦ともに常勤で働くのは大変で、こっちは努力してるのに!という意見であった。
まあ、これを強者の意見と言ってしまえばその通りで、頷く人も多いかもしれない。

でもちょっとおかしくない?本来、助け合って良いはずの働くママ同士が対立するって

もう100歩譲って、シングルマザーが、彼女のいうように、もしかして浅はかで勝手な人の割合が多いとしても

子供には責任は全くない!

ここの視点は、外してはいけない最も大事なところ。ここが行政のシングルマザーやシングルファーザー支援に欠けているのではないかと、思うのだ。
そして当時より、段々、支援や福祉にかける予算が削減されており、今や、税金や諸々の制度は、悪化する一方。よほど恵まれた人でないと、満足な教育を子供に受けさせられない。

そもそも、高校までしか養育費がないって、どういうこと?大学が1番、お金がかかるよね?

ここでまた繰り返すが

子供には責任は全くない!

大学まで行きたい、その力がある子供は、親の収入関係なく、進学できるように社会が支援してしかるべき。そこに優秀な人材がいる可能性があるのだから、彼ら、彼女らの進学のチャンスを奪うのは社会の損失。

税制や養育費の問題もあるが
もっと無償の奨学金制度が増えると良いなと思う。意欲ある学生が、自分の力で学費を確保することができるのだから。

私が知っている最も優秀な理学療法士さんは「母子家庭で、貧しかったから、奨学金で養成校に行ったんです。ほとんど返金義務がなかったので、働き始めても、そのお金を自己投資に回して、卒業後もたくさん勉強することができました」と言っていました。方や、奨学金が払えなくて自己破産の手続きした人も知っている。

もう一度
親がたとえ浅はかであったとしても、短絡的であったとしても

子供には責任は全くない!

子供は社会の贈り物、社会で育て、社会に戻す

親ガチャなんて言葉が流行する社会は、相当やばいと自覚した方がいい
子供は社会の贈り物であり、社会で育てるものだから。
子育てを親だけの責任にしてきた、今の社会を見れば、それがいかに愚策かはっきりわかると思うのだが。

それにしても、この本に書かれている
「専業主婦」への手厚い施策と、シングルマザーへの貧困な施策は、格差を助長している仕組み
そもそも専業主婦は、旦那さんの収入が高い家庭が多いのだから
わざわざ国が格差を作り出しているようなもの、だから貧困は政府の責任。

昭和な、お袋さん的なイメージを女性に求めるおっさん政治家は良い加減に消えろ!と、思ってしまう本でした。
知っていた方がいい、こうして、貧困は作られていくということを。そしてそれが連鎖するってことを。ゆくゆくは、社会に跳ね返ってくるってことを。

この本も、またまた隆祥館書店の二村さんのご紹介です。いや、本当にいつも良い本を選んでくれます

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