「食べる選択」どうしたらいい?医療従事者ができること~言語聴覚士のお仕事~
このブログでは、言語聴覚士として、失語症や高次脳機能障害といったコミュニケーションに困りごとがある人について書いてきましたが、本日からは嚥下障害がある人についてです。ただし、嚥下障害とは何か、介助方法はなどではなく、嚥下障害がある人の「意思決定」についてです。なぜなら、嚥下障害を伴う人のほとんどが、コミュニケーション障害を抱え、自分の意思を伝えることに困難さがあるからです。
まずは食べることから考えてみましょう。
「口から食べる」ということは、単なる栄養、水分補給としてではなく、喜び、生きている実感を伴うものだ。
これまで多くの嚥下障害がある人と関わってきました。嚥下障害がある人だけでなく、介護をしている人のほとんどが、最後までこだわるのが、一口でもいいから「口から食べる」ことです。
しかし現在、高齢社会が進み、判断能力と意思表出が困難である嚥下障害者が増加しました。
一方、医療技術の進歩により、経管栄養法の選択肢があり「口から食べる」ことが難しくても、栄養や水分を補給することが可能です。
ですが認知症は進行性の病気ですので、嚥下障害の改善は難しく、経管栄養を選択したあとに、改善、抜去となる可能性は非常に低いのです。
こうした状況の中、嚥下障害を伴う認知症の人にとって、何が最良の選択であるのか悩む医療従事者は多いです。
倫理的ジレンマ
また、空腹を感じない、食べ物を認知できず拒否して必要量を摂取しない場合、脱水や低栄養になるリスクが高まりますが、
そのリスクやそもそも生命を維持するための栄養・水分の必要量じたいを理解するのが難しいのです。
これも、食べたくないという本人の意思と、少しでも食べて欲しい医療者の希望が相反します。
このように本人の意思を尊重すると命の危険が予測される場合、私たち医療者は倫理的ジレンマに苛(さいな)まれます。
続いて、明日からは3ケースの事例を紹介します。どのようなかかわりがよいのか、一緒に考えていきましょう。
ケース① 食べたい想いを主張する80代男性と尊重したい妻
「どうせ先が短いのであればと、食べたいものを食べたい」
夫婦の家族も交え、主治医から胃ろうの提案をしても拒否され、「好きなものを自宅で食べる生活」を家族全員が希望。自宅に戻り、数週間後に死亡となりました。
食べたいものを少量食べ、必要な栄養を胃ろうで摂取する「食べるための胃ろう」について、早期から説明することの重要性を感じました。
また、経口か経管かは、生活する場所の決定にも影響を及ぼします。
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