【子どもの高次脳機能障害】一人の男の子からみる、脳の回復の可能性

【子どもの高次脳機能障害】一人の男の子からみる、脳の回復の可能性

さて、ある一人の男の子を紹介します。

自転車で帰宅途中に、自動車が後ろから衝突。
大きなけがをしました。血の塊を取るために、開頭手術をして、その後、数日間は意識が戻らず、鼻からチューブを入れて栄養補給、鼻から酸素投与です。

意識が戻ったものの、とにかく音を怖がって(トラウマかもしれないし、聴覚過敏かもしれません)、母親から離れずべったり、言葉も幼くなっていました。

初めは、怖い経験をしたからかな?と思っていたお母さんですが、数か月続きました。
勉強は遅れがでましたが、なんとか、追い付いてきました。

それよりも、これまで開頭手術をしたお子さんがいないということで、学校の受け入れが大変
腫れ物に触るように「あれもだめ」「これもだめ」大好きなバスケットも禁止だし、昼休みに校庭にでるのもダメ
せっかく学校に通うえるようになっても、いつも一人ぼっち

学校は「医師がOKならいいです」と言えば 医師は「いろんなシチュエーションがあるから、OKとは言えない。学校の采配で」と言う。
結局、何も進まない。そんな日々を、幼いながらじっと耐えていた我が子をみて、お母さんは学校にも医師にも訴えるが、空振りの日々・・ さぞかし辛かっただろうなと思います。

一番辛いのは本人ですが 、後遺症のてんかん発作が起こった時も、すぐにおさまってしまうので診断がつかずあちこちの病院をたらいまわし
そもそも高次脳機能障害という診断も、なかなかつかなかったですから、どれほど親子とも辛かったことか。

そうそう、保険会社も対応がおかしくて、もう、おかあさん、気持ちが破裂寸前でした。
母さんも余裕がないので、親子で喧嘩、そのたびに落ち込むという日々でした。 そんな彼が、事故後、2年たって書いた作文があります。ぜひ読んで下さい!

僕の人生
 この夏はコロナの影響で1週間と言う短い夏休みで、いろいろなことを考える時間だった。
その中で僕が特に印象深い事は、小学生時代バスケを2年間やっていたことだ。長かった気もするし、短かった気もする。
でもすごく楽しかったし、終わってみると、やっぱり寂しい気持ちだった。引退してからこれまでのことを、思い返してみた。入部した時、周りで経験者も多い中、初心者だった自分には、ボール、シューズ、試合のルールなど、はじめてのことが溢れていた。最初から運動神経が良くなく、足が遅ければ、体力もなかった。何度も失敗して、そのたびに怒られて、それでもそんな日々が楽しかった。何10回失敗をして、悔しい気持ちになっても、たった1回の成功が自分にとっては比べ物にならないくらい嬉しいことで、やめたくない、最後まで続けたいと思った。
 しかし思いもよらないことが起こった。小学校5年生のとき、交通事故に遭ってしまった。手術にリハビリの毎日だった。頭蓋骨骨折を何カ所もしていて、バスケができる状態ではなかった。また運動ができるようになるには、半年以上かかると言われた。何よりも練習に参加できないことが悔しかったみんなが走っている道のりを、自分を走ることができないし、みんなが練習中に感じている嬉しさや悲しさも、感じることができなくなってしまった。
 練習はしんどいし、疲れることも多いけど、バスケをする楽しさや、成功した時の喜びがあるから、参加できできない練習を見て、家に帰ると言うのは正直、辛かった。自分はここにいる必要があるのだろうか、もしかしたら時間の無駄なんじゃないかと、何度も考えたけれど、やめようとは思わなかった。結果的に自分が練習に戻って来れたのは、小学6年の夏だった。明らかに、以前の自分より体力がなかったし、自分が失った時間の分だけ、みんなは成長していた。でも、だからこそ前向きな自分に戻ることができた。みんなの背中を追いかけていた、あの入部したころの日々の自分と、今の自分の気持ちは変わっていなかった。
 引退までに残された時間は数ヶ月、何度も失敗してそのたびに怒られて、たった1本のシュートが決まるだけで、心のそこから喜ぶことができた。
みんなが楽しいと感じるとき
みんなが辛いと感じているとき
同じく、自分も楽しい、辛いと感じることが、本当に嬉しくて、幸せだった。
そして迎えた最後の試合、背番号は最後の方だったけど、みんなと試合に出れた事は本当に嬉しかった。
バスケを通して学んだ事は、技術だけじゃない。
何かをやり遂げることはとても大切
人は乗り越えなければいけないことがある
人それぞれの考えがある
意味のない努力はない
そして、仲間は大切
バスケを始めて良かったと思う。中学ではバスケではなく、卓球に入部した。3年間やり遂げたいと思う。いろいろなことで、助けてもらわないといけないこともあるけれど、大切な仲間と一緒に楽しんで、部活も学校生活もやり遂げたい。
今年の夏は自分にとっていろいろなことを考えるとても大切な時間になった。
この作文を、お母さんか送られてきたときは、涙がでそうになりました。
言動が幼くなってしまった当時の彼は、「なんで、何もできないんや!」と泣きながら訴えるか、「もういい」とぐっと我慢する、そして、時々、お母さんに向かって、暴言を吐いて、理不尽な思いを訴えるしか術がありませんでした。
それが、こうして回復するのですね。
脳が発達する過程にあるからこそ、可塑性に富んでいる、これが小児の高次脳機能障害における特徴の一つでもあります。
彼は、まだ後遺症がありますが、長期にわたってフォローしてくれる制度があるといいなと心から願っています。

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